「J-Win 第9期High Potentialネットワーク 1月度定例会」を、2020年1月16日(木)に機械振興会館、大阪中継会場、福岡中継会場で開催し、合わせて203名のメンバーが参加しました。
■TOPの意識や視座を知り、自分なりの覚悟を持つ
1月度定例会のテーマは、「TOPの視座を学ぶ~TOPになるという、自分なりの覚悟を持とう~」。
日本航空株式会社 代表取締役会長の植木 義晴氏を迎え、「変人のススメ」と題した講演を行いました。
パイロットとしてJALの運航の現場を支えてきた思いや、経営破綻という厳しい状況からV字回復を果たすまでの苦難と覚悟、社長に就任してから実感した決断の重要さなど、リーダーとして必要な心構えについてお話しいただきました。また、長い歴史の中で根付いた企業体質を変えるべく、従来の経営層にはなかった「異分子」として変革を起こしてきた植木氏の功績に、改めてダイバーシティの重要性も再確認することができました。
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2010年1月、日本航空(以下JAL)は経営破綻という危機に陥りました。当時、パイロットとして現場にいた私は、執行役員 運航本部長という役職への就任を告げられ、非常に悩みました。愛着のあるパイロットという仕事にこだわりJALを去って他社に移るか、役員として再建に取り組むか。パイロットとしての現場を離れるのは大きな決断ですが、悩んだ末に、「5万人の社員を抱えた会社を救いたい、どんなことがあってもJALを再建したい」という覚悟で引き受けることにしました。その時、会長には経営の神様と言われる稲盛和夫さんが来られ、JALの社員一人一人の意識を変えることの必要性を教えていただきました。そして、稲盛さんの下で再建に取り組み、1年で10年分の赤字をぬぐい取ることができたのです。稲盛さんに対しては何度も挑んでは破れるという繰り返しでしたが、私の覚悟を感じ取ってくれたのか、ある時から「好きなようにやれ」と言ってくださり、信頼の糸が結ばれたように感じています。2011年には東日本大震災があり、営業への大きな影響が懸念されました。最初、営業利益の予測数値を集めたところ、1度目の集計では求められる目標には到達していませんでした。「この約束を守れなかったら会社は存続できないよ。人の首を切るなんてことは二度とやりたくない。臆病にならずに出してほしい」と覚悟を示したところ、2度目の集計では目標に到達。実際にその目標を8月には達成し、再建への大きな弾みとなりました。人間はすべてを捨てた時に力を発揮することができます。トップがその姿を見せた時に、人もついてくるのです。また、チャンスをつかみ取る人と逃がしてしまう人がいます。それは運だけではなく、つかむための準備ができているかどうかも重要です。その翌年の2012年に社長に就任しましたが、その時はもう迷いませんでした。自信はまったくありませんでしたが、「変な奴にやらせるぐらいやったら俺がやる」という意気込みで引き受けました。
社長という立場は、常に物事を決めなければいけません。何かを決断し、自分の信念を表明するのは恐いものです。物事を決める際に、最も簡単なのは多数決による決定です。しかし、私にはそれを許すことができません。企業においては、前例主義、データ主義、論理主義で物事を決めようとすることが多いのではないでしょうか。しかし、それだけで決められないこともあります。私はよく「感性で決めろ」と言ってきました。感性とは、理屈の上に成り立つもので、意識している者にしか備わらないものです。2013年に、エアバス社の「A350」という評判の良い機種をオーダーし、6年もの月日を経て2019年6月に納品され、人気機種を飛ばすことができました。当時は試作機もできていない状況の中、現物を見ずに一兆円もの買い物をする決断は勇気のいるものでした。でもその時に決めなかったら、2019年にA350 を飛ばすことはできなかったことになります。それまでJALは60年間、一度もエアバスの機種を持ったことがなかったため、A350を導入することは非常に大きな決断でした。工具も全部変えなければならず、整備にも準備や費用がかかります。当然社内での反対意見も数多くありました。すばらしい飛行機だと噂には聞いていましたが、正直不安もありました。それでも最後に決断し、実際に飛ばして成功することができました。前例、データ、論理だけに頼っていたらこのような決断はできません。トップに立つ人間は、感性を持って物事を見極め、決断することが求められるのです。~講演の感想 ~アンケートコメントより~
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【植木 義晴 氏のPROFILE】
1952年京都府出身。1975年に航空大学校を卒業し、同年4月、操縦士として日本航空に入社。1994年4月にDC10運航乗員部機長となった後、17年間を機長として乗務した。 2010年2月、執行役員運航本部長、同年12月、専務執行役員路線統括本部長に就任。2012年2月に代表取締役社長に就任。2018年4月より現職。