J-Win 9月度定例会が、2013年9月11日(水)17時から田町の女性就業支援センターにて行われました。今回は2人の講師の方に講演をいただきました。最初の講師はBTジャパン株式会社 代表取締役社長の吉田晴乃氏。「Diversity & Inclusion - 2020東京オリンピックと20/30に向けて」というテーマでご講演いただきました。ご自身のキャリアと、シングルマザーとしての体験を、飾らない言葉でお話しくだいました。内永理事長の挨拶と休憩のあとは、次の講師、立教大学経営学部国際経営学科 教授の尾崎俊哉氏より「分科会を進めていく上でのマネジメント学」というテーマでご講演いただきました。女性メンバーとの対論も織り交ぜながら、経営論からみたダイバーシティについてのお話と、また今後の分科会活動へのアドバイスもいただきました。
ここでは吉田氏と尾崎教授のご講演をダイジェストでご紹介します。
「Diversity & Inclusion - 2020東京オリンピックと20/30に向けて」
BTジャパン株式会社 代表取締役社長
吉田晴乃
本日はこのような機会に皆さんの前でお話でき大変嬉しいです。現在は代表取締役社長ですが、私自身のキャリアは順風満々なものではなく、まさに「七転び八起き」の波乱に満ちたものですが、皆さんのキャリアに少しでもヒントになればと思って本日はお話をさせていただきます。
最初の難関は就職のときでした。大学卒業後、商社への就職が決まっていたのですが、病気のため断念。そこから私の生き方が変わりました。3年間の闘病のあとでモトローラに就職し、通信の世界に足を踏み入れたのです。その後、国際結婚をしてカナダに渡り、カナダの国営通信会社で日本人向けのマーケティングをしました。1999年にNTTが北米に進出したときに営業のポジションを得て、ニューヨークへ。離婚してシングルマザーになっていました。
2001年9月11日、この日も私はいつも通り朝8時半にNTTアメリカに出勤し、そこで窓の外のツインタワーが崩れ落ちていくのをこの目で見ました。お世話になった日本企業の方々があの惨事に巻き込まれたというのに、自分には何もできなかった。昨日のことのように覚えています。そのときマンハッタン中に、こんなアナウンスが流れました。「皆さん、携帯電話を使わないでください。瓦礫の下にいる人たちが、きっと携帯で助けを求めているから、元気で歩いている人は絶対に使わないでください」と。実際には、ほとんどの通信会社がツインタワーの近くにあったため、パトカーや救急車の配車もできず、ATMなどもすべてダウンしました。通信を提供するとはどういうことか。私たちがやらなければならないことは何か。通信という業界のミッションを真剣に考えましたし、12年たった今でもあのときの気持ちは忘れません。
2004年に現地採用の社員としては初めて、課長のポジションで日本に帰りました。そこで強く感じたのが、人材交流の大切さです。このままでは日本はアメリカのテクノロジーに負けてしまうと考え、アメリカの通信会社に転職することにしました。そこでは「アメリカが、自分たちが世界を制覇していくんだ」という強いコミットメントを持っていました。それは確かに素晴らしいことですが、私がずっと抱いていたビジョンとは少し異なりました。私は生命線としての通信、社会インフラとしての通信を目指したいと思っていました。
BTから現在のポジションをオファーされ面接に行ったときに、建物の入口で会社のロゴを見ました。『Bringing it all together』~ 淘汰ではなく共存共栄。そこにあるものをみんな繋げて、みんなで新しいマーケットを築くという発想に感銘を受けました。私がかねてから抱いていたビジョンと、BTのビジョンがぴったり合ったこともあり、社長就任が決まりました。
私には娘がいます。実は娘の高校卒業式が、英国本社会長の訪日および私の社長就任パーティと重なってしまいました。入社後初めて本国から会長が来るということもあり、娘に申し訳ないと思いながらも、これまで通り仕事を優先して卒業式には出ませんでした。かなり後になってから、私のボスにこの話をしたところ、彼は「なぜそれを言わなかったのか。会長のスケジュールを変えてもらえばよかったじゃないか」と言ったのです。実際その通りなのです。誰かが勇気をもって変えていかなければならない。これまでの女性、私たち、そして次の世代が聖火リレーのようにチャレンジしていくことで、もっと女性が働きやすい社会になる。誰かがその第一歩を踏み出さなければなりません。
娘には山ほど淋しい思いをさせたし、彼女の将来を考えて不安になったことも何度もあります。それでも今、仕事をする母親を誇りに思うようになってくれました。いまお子さんのことで悩んでいるかたも、大丈夫です。みんなで少しずつがんばって、女性がもっと働きやすい世界にしていきましょう。
【吉田晴乃氏のプロフィール】
東京生まれ。大学卒業後、モトローラ日本法人に入社し、その後カナダの通信会社に転職。2000年から8年間、NTTコミュニケーションズとNTT米国法人で役職を歴任した。ベライゾン日本法人の営業本部長を経て、2012年1月、BTジャパン代表取締役社長に就任。
「分科会を進めていく上でのマネジメント学」
立教大学経営学部国際経営学科 教授
尾崎俊哉
欧米ではかなり前から会社の施策としてダイバーシティマネジメントに取り組んできました。日本では近年になって、一部の企業で試行錯誤している状態です。では、ダイバーシティ・マネジメントとは何か。ふたことで言えば「すべての社員をわけへだてなく尊重すること」そして「その多様な能力を競争優位の源泉とした活かす経営をすること」。つまり、「適材適所」です。
60年代、アメリカでは公民権運動で人種差別の撤廃が実現しました。その過程で『機会均等雇用委員会(EEOC)』が設立され、雇用をめぐる差別をなくす動きがうまれ、職場における女性差別もその一つとして注目を浴びるようになりました。80年代になると、一部の企業は社会的責任(CSR)の一環として、より積極的に、さまざまな差別を廃して仕事ができる環境を提供することをアピールするようになります。さらに90年代になると、企業の競争力を再構築するために、ダイバーシティ・マネジメントを取り入れるようになりました。社内の資源として社員をとらえ、それぞれの強みと弱みを活かすことが、組織能力を高めると考えたのです。
日本ではつい最近まで、ダイバーシティとはある意味で逆のマネジメントを行ってきました。たとえば男性の場合、能力が高い人も低い人も、ある年次まではわけ隔てなく仕事を与え、わけ隔てなく処遇します。その一方で、女性が高い成果をだしても男性を優遇する場合が少なからずありした。その背景に、男性社員を抱え込んで長く働いてもらうという長期雇用の人事施策があります。新人のうちは男性社員への人的投資を積極的に行いますが、その過程で、ある意味で他の企業では通用しにくい、その企業での仕事に特化した能力を構築させて、育てた人材を囲い込むわけです。企業の都合と個人の都合の微妙な均衡で成り立つ関係で、こういうことをしている先進国は日本だけです。
ところが21世紀になると、技術の急速な進歩や市場の変化の速さから、多くの人材に広く長期的に投資し、多様性というよりは同質性を育みながら社員を抱え込む経営は、硬直的でリスクもあると考えられるようになってきました。このような人材育成は、グローバル化する日本企業の国際経営の観点からも壁に直面しています。
日本人は子どもの頃から「空気を読む」ことをよしとする教育を受けているため、多様性を嫌がる傾向があります。しかしこれからは「人とは違う」ことを怖がってはいけません。大切なのは自分の強みや弱みを把握して、得意分野で存分に力を発揮すること。そして組織は、それぞれの能力を適材適所におくことで、新たな価値を創造できるのです。
皆さんをJ-Winに送り出してくれた各企業では、皆さんが企業における変化の担い手になることを期待しています。J-Winの活動の中でも特に分科会活動は、相互研鑽とネットワーキングによるリーダーシップの育成・能力開発が狙いです。皆さんには大いに議論をしていただきたいと考えています。その際には、あくまでもエクササイズと割り切って、自分の視野を広げ、常識を疑い、考える力を深めてください。他の人が別のアプローチをしてきたら検討し、多様な意見を集約する。こうして、全体を俯瞰することと実際に作業する工程を繰り返すことが大切です。その結果、皆さんが企業に戻った時「変化の触媒=チェンジ・エージェント」になれるのです。
【尾崎俊哉氏のプロフィール】
福岡県生まれ。上智大学文学部哲学科を卒業後、オーストラリア国立大学大学院で学ぶ。帰国後、1985年IBMに入社。仕事をしながら、ジョン・ホプキンス大学大学院、ジョージ・ワシントン大学大学院で学ぶ。2005年、IBMを退職して立教大学経営学部教授に。NPO法人J-Win理事。