NPO法人J-Win 1月度定例会が、1月18日、東京・田町にある女性就業支援センター(旧女性と仕事の未来館)4階ホールにて開催されました。第一部は、講師にみずほ証券株式会社取締役会長の横尾敬介氏をお招きし、「グローバルリーダーシップに向けて~私の経験から」というテーマでご講演をいただきました。ご自身が実践されてこられたダイバーシティ推進の取り組みや、リーダーとしての成長の過程、グローバルリーダーの条件についてなどをお話いただきました。第二部は複数の分科会メンバーによる代表質問、さらに感想をシェアするワーキングセションも行いました。
また、この日は内永理事長による新年のあいさつもあり、日本企業のトップとして参加したダボス会議の様子などの話もありました。
ここでは、横尾会長のご講演内容をダイジェストでご紹介します。
※ 1月度定例会の実行委員メンバーは、仲川ゆりさん(東日本旅客鉄道)、山来信子さん(JPモルガン・チェース銀行)、二瓶ひろみさん(栄光)、寺尾寧子さん(武田薬品工業)、槙田あずみさん(全日本空輸)、築地勢津子さん(三菱東京UFJ銀行)、片山圭子さん(明治安田生命保険)、岸本佳弥さん(東京海上日動システムズ)、小柴美樹さん(あずさ監査法人)、草薙佳代子さん(TAC)の11名です。
みずほ証券株式会社 取締役会長
横尾敬介氏
当社は、2009年5月に新光証券と合併して現在のみずほ証券になりました。総合証券会社としてグローバル化の推進を進めており、国内101拠点、海外10拠点(2011年12月末現在)を有しております。
グローバル化の柱と言えるダイバーシティの推進に着手したのは、2003年のこと。現在、日本アイ・ビー・エムの会長、当時社長だった大歳卓麻氏に当社の役員研修で、「ダイバーシティとは何か」というお話をしていただいたのがきっかけとなりました。その研修資料を当時の社長から渡された私は、日本が人口減少社会という大きな課題に直面していく中で、将来を見据えてダイバーシティの推進は必要であると感じました。
具体的にダイバーシティ推進を図っていくにあたっては、経営の軸として位置づけて、トップダウンで進めていくということが、大きなポイントでした。
当時、経営企画担当常務であった私は、実務を進めていく上で、大変活発で社内に影響力を持つ社員2名を人事部に頼んで選んでもらいました。2名は業務を抱えながらの活動であったため、私は2名の直属の上司から当人の負担増加を慮る声も受けましたが、当人達は頑張ってくれました。
2007年には、社長に就任することとなるのですが、就任当初はダイバーシティを自分自身のものとして捉えてくれる社員は僅かでした。そのため、社長直轄で推進のための組織を作るか、あるいは委員会組織にするかと色々と悩みましたが、まずは人事部がダイバーシティを理解しなければいけないと思い、「なぜ、ダイバーシティを推進しなければいけないのか」ということを人事担当役員と人事部長に説明し、理解を得た上で、2008年に人事部に「ダイバーシティ推進室」を設置しました。
さらに、ダイバーシティに関連する方針・施策の検討を行う「ダイバーシティ・ステアリング・コミッティ」を立ち上げました。当時3名の副社長を委員としてそれぞれに担当を割り振りましたが、中には消極的な者もいたため、ここでも「なぜ、ダイバーシティの推進が必要なのか」ということを一人ひとりに丹念に説得を繰り返したものです。副社長にはダイバーシティ推進室長の意見を聞きながら、一人ひとりに課題を与え、会社の重要課題として解決に向けて動いてもらいました。その甲斐あって、年2回開催されるコミッティでは、副社長自らが説明し、社長であった私以下多数の役員が参加し、活発な意見交換を行うなど、経営陣が積極的に推進していく体制が確立されました。
2009年5月の新光証券との合併に際しても、新光証券の部店長クラスの多くはダイバーシティという言葉すら知らなかったため、まずは新光証券の社長に何度も当時のみずほ証券のダイバーシティに関する活動を繰り返し説明し、合併新会社での推進に理解を求めました。最終的には「分かった、君に任せる」と言ってくれましたので、合併の前月に、両社合同の部店長会議を開催し、全部店長にダイバーシティについて時間をかけて話をしました。合併後は、「お互いの尊重とコミュニケーション」が大切であると役職員に言い続けつつ、ダイバーシティ推進を図ってきました。当初、ダイバーシティに慣れていない新光証券出身の社員たちからは戸惑いの声も上がりましたが、今では大分浸透してきたと思います。
新会社におけるダイバーシティ・ポリシーは、「M'sプロジェクト」という社員参加型のプロジェクトにおいて社員間で議論してもらい、「一人一人の可能性の追求」、「個性の融合」、「働き方の変革」を軸に置くものとして、2009年12月の経営会議で制定されました。ダイバーシティ・ポリシーは、お客さまや株主、市場などステークホルダーの一角である社員にコミットメントするものであると位置づけられています。
また、女性社員の活動では、女性社員自らが女性の活躍・推進を考えるための組織「MiW‐Net(ミュウネット)」が社長直轄という形で運営されており、また、ワーキングマザーの有志で構成されている「ママ・ネット」、若手女性社員の有志が立ち上げたネットワーク「MiW-Net Plus(ミュウネット プラス)」というような活動も行われています。
私自身のこれまでの歩みを振り返ってみたいと思います。
社会人になって、まず、「仕事をするとはどういうことか」、「他人と共存するとはどういうことか」といったことに悩んだ時期がありました。そういった中で、重要なのは、「謙虚さ」と「プロフェッショナリズム」であると段々と心が定まってきました。つまらないと思う仕事はさっさと片づけ、不本意な配置転換であっても異動後の新しい仕事は3ヶ月で覚えてプロになるということを実践しました。また、社内外の人脈を作ることにも努力しました。私を認めてくれる人、支持してくれる人、自然と私を理解してくれる人を探しました。相手のことを理解しなければ、私のことも理解してもらえないといったことにも段々と気付いていきました。
このような経験を通じて私のなかで、リーダーの条件とは、まず「人が好き」であるべきということだと定まりました。人間研究に始まり、人間研究に終わる。どんな会社でも、人材が全てであり、一番大事な資源である「人」のことをよく理解することが必要なのです。もうひとつ大切なことは、自分自身を客観視できるかどうかです。日々の仕事の忙しさや人間関係の煩わしさでストレスがたまることもあるでしょう。そんなときに、現実の自分を冷静に客観視できるか。今まさに、怒っている、不愉快に思っている現実の自分に対して、冷静になれと語りかけられるもうひとりの自分の存在を見出せるかどうかだと思います。とは言え、私自身の性格は、自分で言うのもなんですが、相当過激で、道から外れる人を見ると極めて不愉快で、若かりし頃はすぐに口論していました。
また、私の「ダイバーシティの推進」や「グローバルへの取り組み」についての考えの根底には、銀行時代のニューヨーク支店での経験が大きく影響しています。
私は、1982年4月、31歳でニューヨーク支店へ転勤し、約6年間、30代前半を銀行のニューヨーク支店で過ごしたわけですが、そのとき、投資銀行で活躍する一人のとても魅力的なマネージングディレクターであった38歳の女性に出会いました。その彼女の男性以上の働きぶりを目の当たりにしたことが、「ダイバーシティ推進」の原動力になっていると思います。もう四半世紀も以前のことですが、その頃すでに、米国では年齢・国籍・性別に関係なく、実力のある人が役員になっていました。仕事をするのに、男性も女性もなく、もちろん国籍も関係ありません。企業間の競争が激しいので、グローバルに戦っていくためには、そういうシステムでないと絶対に勝てないと実感し、カルチャーショックを受けたものです。彼らは常に何事に対しても、真剣に議論をしていましたが、その光景は、あまり議論をする文化がなかった日本人である私には、非常に新鮮に映りました。
また、当時日本にはなかった投資銀行のバンカーというものの存在に大きな刺激を受けて、その憧れから、日本に戻って証券の世界に身を置くことになりました。元々、学生時代、世の中を動かすような仕事をしていきたいという思いから、政治家志望でありましたが、両親の大反対にあって断念し、同じような思いで仕事ができそうだということで日本興業銀行に入行しました。興銀には、財界の鞍馬天狗と言われた中山素平という人がいて、その人の存在に惹かれて入行したのですが、中山さんはまさに現在の投資銀行のバンカーのような仕事をしていたのです。
グローバルリーダーの条件についてですが、グローバル人材といった場合、日本での定義は海外業務、国際業務を遂行する人という域を出ていないと個人的には思っています。「若いうちに海外へ行った方がいいか」という質問をよく受けますが、語学だけを考えればそうかもしれません。しかし、語学だけできる人がグローバル人材なわけではありません。日本の職場と同様、海外でもその組織で活躍できる人でなければ意味がありません。真のグローバルリーダーには、地球規模で消費者のことを理解し許容できる能力が求められ、そのためには、世界観や歴史観を理解することが不可欠であると私は思います。我々は、まずは日本の歴史、とくに今の日本の礎が作られた近代史を学ぶ必要があります。人に対する思いやりがあり、判断、指示ができる人でなければ、グローバルなビジネスパーソンにはなりえません。私自身、ニューヨーク時代にそれを実感しました。ピュアで一生懸命な人、情熱的で言行一致の人は、語学に関しても最初は出来なくても、苦しみながらも出来るようになろうと努力します。こういう人材を海外に行かせて、一人でも多くのグローバルリーダーが育っていくのを願ってやみません。
【横尾敬介氏のプロフィール】
1951年大分県生まれ
74年慶応義塾大学卒業後、日本興業銀行入行、85年ニューヨーク支店調査役、97年新日本証券総合企画部長(新日本証券と和光証券との合併による新光証券発足に尽力)、2001年旧みずほ証券常務執行役員、05年取締役副社長、07年取締役社長、09年5月新光証券と合併した現みずほ証券取締役社長に就任、11年6月同取締役会長。